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かっこよくなりたい男のブログ~雑記~

人と違う生き方しかできない【多様な生き方】

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人と違う生き方をしたい

 

誰もが一度は思ったことがあるはずだ。

しかし、多くの人は人と違うことをする勇気がない

 

でも、僕は皆んな人と違う生き方しかできないと主張する

なぜなら、同じ人は世界に存在しないからだ。

 

本記事で、理由を紹介する。

 

 

日本社会の作り出した型

一般的な生き方を考えてくださいと言われると多くの人の考えが一致するに違いない。

日本社会には、そうした「〇〇であるべき」みたいな型が存在する。

いわゆる社会のレールだ。

 

そして、それが色んな問題を生み出したことに日本社会は今更気づいている。

 

例えば、

女性に関する問題は、結婚や働き方など様々な問題があるが

女性は「〇〇すべき」という作り出された型から発生している問題だ

 

日本社会は、日本社会が勝手に作り出した型を今、批判している

 

型にハマっても、同じになれない

同じ人間はこの世界に存在しない。

 

もし仮に、存在していたとしても同じに生きること自体不可能です。

 

同じ道を歩いていても、人にぶつかる人とぶつからない人がいます。

もっというと、鳥のフンが当たる人と当たらない人がいます。

 

同じ道を歩いていても、同じではない。

 

そう考えた時に、

日本社会の型は違うものを同じに見せようとする型と言える。(無理やり笑)

こんなに、ひどいことはない。

 

この時点で、間違っている。

本来、皆んな人と同じではないんだから

 

例えば、分かりやすくいうと男女平等の問題だ

僕自身、男女は平等ではないと思う。

 

それは、肉体的や生理的など様々な要因がどう考えても違うからだ。

パッと見て、男女が違うことくらい小学生でもわかるはずだ。

 

違うで何がいけないんだろう?

違うことを同じにしようとするから、歯車が狂うのでは?

 

なぜ違うことを、悪のようにしたいのか分からない。

違うことを受け入れる社会が必要だと、

平等にすることが悪だと個人的には思う。

 

多様化という型

近年、日本社会は多様な生き方を推奨している

 

その多様というのは、違うものを同じだとする型から出発したもの

 

そうじゃない、型を壊すだけで多様は生まれている。

理由は、人は皆んなそれぞれ違うから。

元から、皆んな多様だからだ。

 

しかし、今の日本社会が推奨している多様化は型から出発したものだ

つまり、多様化という新しい型ができる結末が待っている。

 

それは、いずれ人と違う生き方をしなければならないに発展し

また新しい問題が発生するかもしれない。

 

現に今、多くの人が人と違う生き方をしたいと悩んでいるのではないか?

それは結局、みんなを同じにする型が多様化という型に変わっただけでは?

 

僕の主張:自分という型

今、多様な生き方を求める人と社会のレールのような型でいい人で争っている。

分かりやすくいうと、高齢者と若者だ。

 

それは、結局どちらも型である点に変わりはないし型の新旧の争いでしかない。

 

僕は、皆んな人と違う生き方しかできないと主張する。

だからこそ、生き方の型は社会からハメられるものでもないし

自分から社会の型にハマろうとするものでもない。

 

自分の中に、自分という生き方の型を持つと楽になる

 皆んな、違う型を持っていいじゃん笑

 

社会に生き方の型なんていらない

多様な生き方なんて推奨しなくていい